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世界は広い、そして温かい

By かにこ

 

滞在国:オーストラリア

滞在期間:10か月

 

 

現地の現状を教えてください

―私はオーストラリアのアウトバックの中、つまり砂漠地帯にあるBroken Hill というとても小さな町に滞在していました。もちろん大都市にも行ったことがあります。

その上で、一概に言えることは、治安は安定していました。経済的にも 地方と大都市ではあまり差は感じられませんでした。オーストラリアには先住民族のアボリジニやアジアからの移民がいます。その人たちに対してはいまだに偏 見する人がいます。でも日本人は大好きというオーストラリア人は多いです。

オーストラリアの砂漠地帯では水が重宝されており、水の使い過ぎを嫌う傾向にあ ります。

宗教はあまり熱心でない人が多いように見受けられました。ほとんどがキリスト教徒で、少数派ですがイスラム教徒もいました。

オーストラリアは面積 が広いので1つの農家がもつ土地が大きく、農家の子供たちはラジオで教育を受けています。主食は肉で、バーベキューをよくします。


私が住んでいた Broken Hill では、カンガルーやエミューなど、オーストラリア特有の動物を日常的に見ることができました。それと、Broken Hill では日本人が私だけで、アジア人自体あまりいませんでした。なので学校や町で最初は好奇な目で見られました。あとは、ハエの数が尋常じゃありません。

 

現地でどのような活動をしたか教えてください

―わたしは留学をするために海外に渡りました。この10ヶ月間は本当に色々なことをしました。ホームスティだったので、ホストファミリーと大都市へ行ったり、湖の近くでキャンプへ行ったり、オーストラリアという国の色々な風土を見て、体験しました。

留学生だけでいく11日間のキャンプでは、オーストラリア の左半分を旅しました。ホテルに泊まらず、毎日外で寝袋で寝ました。食事は当番制で色々な国の留学生と班ごとになって作りました。山を登り、岩だらけの道 を進み、湖や海で泳いだりしました。イルカも見ることができました。この11日間で留学生同士の絆が深まり、自然の壮大さを改めて感じることができる貴重 な体験でした。

 

私が滞在したBroken Hillでは、地元の女性サッカーチームに所属しました。サッカー経験はなかったのですが、そんな私を温かく迎えてくれ、毎試合で出場させてもらいまし た。おばあちゃんたちに混ざって裁縫クラブにも所属しました。ホストスクールでは2週間に1回日本語のクラスのお手伝いをさせてもらいました。一番心に 残っているのは、カンガルーの赤ちゃんを育てて野生に返すという活動を行っている老夫婦の家に短期間すまわせてもらい、カンガルーの赤ちゃんの世話をした ことです。ラジオ番組に出演させてもらい、オーストラリアに来て感じたこと、私の出身地についてお話させてもらいました。日本では体験できないことをオー ストラリアでたくさん体験し、何事にもチャレンジしました。

 

現地でどのような人と触れ合ったか教えてください

―ホストファミリーは一番一緒に過ごす時間が多かったです。彼らは私を家族の一員として迎えてくれました。

ホストスクールの友人達:彼らのおかげで学校生活にスムーズに慣れることができました。

カンガルーの赤ちゃんを育てて野生に返す活動をしている老夫婦:彼らは本当に心が温かい人たちで、動物好きで、カン ガルーの赤ちゃんを育てるお手伝いをさせてもらいました。彼らは私に本当のオーストラリアを教えてくれました。

ホストファミリーの親族:彼らは私を旅行に 連れて行ってくれたり、プレゼントをくれたり、お泊りさせてくれたり、ホストファミリーが増えた感じがしました。

 

現地で感動したこと・驚いたことはなんですか?

―新聞の取材に答えて、数日後に地元紙を見たら、私の顔写真とコメントが表紙に載っていました!!!!!


オーストラリア人はお肉中心の食生活なのは知っていましたが、ホントに毎日お肉を食べて、日本みたいな薄切り肉はなく、全部ステーキみたいなお肉で、現地の人から「薄切り肉って何?」と言われました。


私が好きな食べ物はスイカとお肉とポテトサラダとホストファミリーに初日に伝えていたのですが、私のお別れパーティの時、ホストファミリーのほかに、友人や 親族の人々も参加し、それぞれ料理を持ち寄りました。そしてなんと、持ち寄られたすべての料理がスイカとお肉とポテトサラダだけで、本当に私が好きなものしかありませんでした笑


また、学校の校庭に野生のカンガルーの群れが普通にいました。
 

 

現地での活動を通して学んだことはなんですか?

―日本人の英語力の無さを痛感しました。

最初の三カ月は何を言っているのかわからず、喋るときも全然伝わらずに苦労しました。しかし時間が経つにつれて英語 力が自然に身に付き、最終的にはアクセントもオーストラリア英語になりました。

自分の国のことをよく知ることが大切だと学びました。

人口はどのくらいなの かとか、原発とか津波はどうなのかとか、東京からどれくらいはなれているのかとか、身近なことを正確に把握しておらず、日本に興味を持ってくれる人をがっ かりさせてしまうことがありました。今一度、自分の国によく目を向けるべきだと気付きました。

人種差別は今も存在することを学びました。

日本にいたらあまり目にすることがない問題だったので、すごく衝撃的で、それがいかに惨酷なのかを知りました。

オーストラリアはビルがたくさんあって、森もあって、という イメージだったのですが、赤い大地、力強く生きる動物、幻想的な夕焼けを私が住んでいたBroken Hillで目にして、それが本当のオーストラリアの姿なんだよと教えてくれたのはカンガルーの赤ちゃんの世話をしている老夫婦でした。

親や友達の大切さを 学びました。

自分がいかに他人に依存していたのかに気付きました。

 

これから世界に羽ばたこうとしている中高生へのメッセージ

―中高生という時期は一番回りの影響を受けやすく、吸収力があります。その時期に自分の国を飛び出して、海外に行って、いろんな人、出来事、ものを見るということは、本当に価値のあることだし、自分の将来にも影響してきます。
よく「視野が広がった」という言葉を口にする海外経験者がいますが、その意味も実感することができます。今ある生活を飛び出して、海外に行くということには勇気がいります。しかし、その分得るものはとても大きいです。絶対に何かしら変わります。英語教室に通ったことがなく、学校の英語の授業だけで海外に行っ た私でも、英語が上達しました。語学なんてできなくてもその語学を使わざるを得ない状況になればどうとでもなります。どうか、語学が堪能ではない、という理由だけで世界に羽ばたく機会を自らつぶさないでほしい。
どうか、海外に行くことを恐れないでほしい。

 

 

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